本書目次・概要

刊行に際して/今吉 弘
推薦の辞/尾辻義人
ウィリスと鹿児島/芳 即正
凡 例
一八六一(文久元)年
 ―日本赴任まで―  長兄夫妻に進路の相談
 ロンドンの病院に住み込み医として就職
 突如出された日本行きの話、兄夫妻も実家も反対、何故か兄夫妻を熱心に説得
 外務省の採用試験受験、試験経過の予期せぬもたつきは将来の不運を暗示?
 日本勤務を選んだ真の理由を明かさず出発
一八六二(文久二)年
 ―日本での勤務開始と二つの告白―
 母宛に上海から報告、予期せぬ遅れ
 勤務先は箱館のはずが横浜に
 横浜の英国領事館で仕事開始(補佐官として医官として)
 賜暇で帰国中のオールコック公使に代わりニール中佐が代理公使
 日本の状況、英国の対日政策、横浜での暮らしの報告
 アイルランドの実家の事情
 次兄サイモン・アームストロングの結婚問題
 父との確執、残酷で無能な父への恨み、哀れな母と姉妹たち
 江戸の英国公使館襲撃事件―現場で遭遇
 生麦事件―現場に駆けつける
 公使館付勤務となる
一八六三(文久三)年
 ―攘夷の動き激化―
 ケイト嬢との仲介役を申し出た兄夫妻の好意を断る―
 御殿山英国公使館焼き討ち事件
 強硬策を要求する居留民はニール代理公使の弱腰外交を批判
 ウィリアムの息子エドワード・ハーバート、長兄夫妻の保護下に
 軍艦アーガス号に乗って鹿児島湾へ、薩英戦争起こる
 狩猟の楽しみ
 ジェンキンズと共に薬局経営に乗り出す、薬品購入を長兄に依頼
一八六四(元治元)年
 ―公務に馴れ少し欲を出す―
 オールコックの帰任とニールの離日
 薬局経営、店舗も薬品も完備、だが薬剤師が来ない
 香港からポルトガル人薬剤師が到着して開業
 無能な薬剤師に薬局経営難航、兄に新しい薬剤師の斡旋を依頼
 横浜に渡って来る女性たち、居留地での暮らし
 下関戦争―しかし横浜で留守番
 開業医と薬局経営で収入を増やしたい、転職の誘惑に揺れる
 オールコック公使の召喚、対日政策の行き過ぎ
 ボールドウィン少佐・バード中尉襲撃事件と犯人処刑
一八六五(慶応元)年
 ―公使ハリー・パークスの登場―
 横浜のゴシップ、横浜の派手な社交生活
 ハリー・パークス公使赴任
 英国からの薬剤師を迎えて薬局経営軌道に
 実家に建設中の「新しい家」の完成間近
一八六六(慶応二)年
 ―猛烈公使パークス、翻弄される部下―
 パークス一家の不幸な家庭生活
 ハリー・パークスは夫として父親として失格
 パークス夫人に同情
 猛烈上司ぶりを批判、同僚マクドナルドの過労死
 首席補佐官への昇進
 薬局経営またも難航、薬剤師の辞職
 薬剤師の派遣を再度兄に依頼
 江戸に仮公使館完成、横浜と江戸を往復する日々
 パークスに同行して薩摩、長崎、宇和島訪問
 長兄の子供たち、特に長男ジョージの教育問題
一八六七(慶応三)年
 ―パークスの活躍、大政奉還―
 実家の農場を継ぐ兄ジェイムズの結婚問題と哀れな三姉妹
 薬局経営を遂に断念
 パークスに同行、大坂訪問
 大君に謁見
 領事部門出身者としての不遇を嘆く
 大政奉還
 江戸開市に伴って新ポストへの昇進が視野に
パークス夫妻と共に富士山登頂
一八六八(慶応四・明治元)年
 ―戊辰戦争、優れた外科医としての日本デビュー―
 神奈川・江戸の副領事に任命される
 大坂、京都訪問、負傷兵の治療
 新潟、会津方面への出張、負傷兵の治療と地域調査
パークスの息子は脳機能障害のおそれ
一八六九(明治二)年
 ―北越戦争従軍から東京大病院勤務、そして鹿児島へ―
 高田、柏崎、新潟、新発田、若松への出張報告
 会津藩政批判と民衆運動への同情
 パークス夫人と息子の帰国
 日本政府、英国政府に対してウィリアム・ウィリスの貸与を要請
 東京の医学校兼病院への出向、孤軍奮闘
 鹿児島県との契約 
一八七〇(明治三)年
 ―鹿児島での新生活―
 ハリー・パークス夫妻への挨拶状
 孤独な生活と激務(医学校兼病院設立に向けて)
 外国人不在、英語の不在、情報の欠如
 漢方信仰との闘い
 霧島登山
一八七一(明治四)年
 ―鹿児島医学校兼病院の設立―
 鹿児島県当局宛各種建言書
 兄夫妻宛の書簡わずか
 医学校兼病院の組織編成に関する建言
 県民の健康と体力作りのために建言
 牧場開設と酪農の勧め(ミルクとバターを県民に)
一八七二(明治五)年
 ―鹿児島の医療に献身―
 英国へ薬品の注文
 授業、担当者、時間割など医学校運営上の建言と報告
 医学校兼病院職員の労働環境および報酬の改善を目指す多くの建言
 休暇で江戸・横浜へ
 鹿児島医学校兼病院の運営に関する中央政府への提言
 中央政府に履歴書提出
 薩摩焼の輸出(ロンドンの美術商を介して)
 父親の死、悲しみより憎しみを込めて回顧
 ジェイムズの結婚と実家の人間関係に及ぼす影響への懸念
 長兄の一人娘ファニーと母ハナに死の影が
一八七三(明治六)年
 ―滞日一二年、さらに一年の契約延長―
 三五歳、人生の折り返し点に立つ感慨
 兄の娘ファニーの容態は一進一退
 兄の長男ジョージは医学の道に
 横浜での正月休暇
 川釣の楽しみ
 島津久光宛意見書
 高木藤四郎(兼寛)の英国留学を支援
 中央政府と鹿児島県との間の違和感に言及
 結婚の誘い二件
 ジェイムズ結婚
一八七四(明治七)年
 ―一時帰国に向けて―
 兄の娘ファニーの容態悪化、そして死
 アーネスト・サトウの父の死と遺産
 台湾からの負傷帰還兵の治療
 一時帰国のための準備
 留守中の病院兼医学校の運営に関する取り決め
 留守宅の生活費支給の手配
 長兄夫妻による本国での就職の勧め、ウィリアムは日本滞在に固執
一八七五(明治八)年
 ―一年間の帰国休暇、一三年ぶりの祖国へ―
 二月に英国に向けて出発
 兄夫妻のもとへ、北アイルランドの実家へ、ロンドンでの雑用に忙しい日々
 兄の長男ジョージの世話と指導
一八七六(明治九)年
 ―再び鹿児島へ―
 北アイルランドの実家の領主エニスキレン卿からの要請
 息子アーサー・コウルを日本に同行
 東回りの帰途マルタ島で次兄アームストロング一家を訪問
 アーサー・コウルにまつわる苦労と失望
 実家の母親にエニスキレン卿夫妻や令嬢の見舞い
 母親の病状回復
 妹ハナの回復
 横浜で遊びほうけるアーサー・コウル、改善の兆しなく帰国
 金銭面でも被害を受け、エニスキレン卿を「古狐」と呼んで憤慨
 「上流階級の馬鹿息子」対「中流階級の実直な働き者」、接点のない空しい交流
一八七七(明治十)年
 ―西南戦争勃発、脱出、帰国―
 士族階級の不満と反乱
 宮崎出張、留守中にサトウの訪問―急遽鹿児島に戻りサトウに会う
 西南戦争
 突然の鹿児島脱出、東京へ
 一家で無為に過ごす状況待ちの日々
 失職
 家・家財道具・書籍すべてを失う
 日本の外務省との損害賠償請求をめぐる激しい書状の交換
 パークスの権威にすがり賠償金獲得
 家族を残して単身離日
余 滴
 ―帰国、そして次の赴任に向けて― 
 母の死
 外科医学会のフェローの資格取得
 ケンブリッジ衛生学ディプロマ取得
 バンコックへの赴任を示唆
 二編の記事の断片―「ある患者」「日本の刀剣」
解説「ウィリアム・ウィリス文書」の里帰り/吉良芳恵
訳者あとがき/大山瑞代
【参考資料】ウィリアム・ウィリスの家族/ウィリアム・ウィリス略年譜


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