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思いがけぬ朗報
東京大学大学院総合文化研究科教授 三谷博氏

 一九世紀の日本史を考えるとき、宇和島伊達家の存在は極めて大きなものがある。幕末、さらに明治初期における伊達宗城の足跡は、一般に知られているよりはるかに大きい。幕末の政治運動は一つには「公議」を軸に展開したが、宗城はその重要なアクターであった。安政五年の一橋慶喜の将軍後継擁立運動以来、彼は越前の松平春嶽や薩摩の島津斉彬・久光、土佐の山内容堂とともに、特別な政治集団を構成し、徳川政権が日本全国をより適切に代表するように組み替える運動を展開した。彼らはそれぞれ個性的な人々で、政治的思惑も異なったが、宗城は、その冷静な判断力と豊かな社交性によって、粘り強く彼らの媒介を努めたのである。それは今日の民主政につながる政治制度の起点であり、その近代の日本に与えた恩恵は計り知れない。  この度、宗城伝に加え、宗城の先代と先々代の宗紀・村壽の伝記が刊行されることとなった。いずれも郷土史家兵頭賢一氏の著作であるが、とくに今まで未刊であった宗紀・村壽の伝記の刊行には大きな意味がある。宗城の政治的活躍は、宗紀によって準備され、支えられたものであった。徳川の旗本から宗城を養子に迎えただけでなく、安政五年に宗城が失脚したときには、従来培っていた井伊直弼との人脈を利用してお家の安泰を計り、その復権後も陰に陽に支えている。この父子の仲の良さは尋常でない。また、宗紀の人脈は水戸徳川家も含む実に幅広いものであって、江戸城大広間で最も小さな大名がどうしてこんなことができたのか、あるいは境界的な地位ゆえにそれが可能だったのか、実に興味深いものがある。そして、宗紀の社交は、村壽の代に窮地に陥っていた自家の財政改革の成功によって支えられていた。知名度は低いが、もっとも工夫に富み、成功した幕末の改革の一つである。この二伝記を精読し、他家と比較するならば、一九世紀前半の日本について、格段に深い理解が得られるに違いない。  幕末の宇和島に少しでも関心を持つ者にとって、晩年の兵頭賢一氏が精魂を傾けて執筆し、奇跡的に焼失を免れた二著が刊行されるのは、大きな賜物である。宗城の背景だけでなく、大名と日本と二階建ての政治体制を取っていた近世日本の政治体制を、大名レヴェルで詳細に知ることができる。生涯をかけて史料を研究した兵頭氏の本文は的確で読みやすく、近藤俊文氏らによる校注・年表・人名索引も周到である。難読語に丁寧なルビを付しているのも今日の読者にとってはありがたい。  原著者と編集・刊行の労を取られた方々に感謝しつつ、この二著を通読できる日を楽しみにしている。


時代を超えた新鮮さに驚嘆
大妻女子大学短期大学部教授 高木不二氏

 幕末の政治史を研究しているものにとって、宇和島藩というのはとても気になる存在である。八代藩主であった伊達宗城は画期となる諸侯会議には必ず登場するし、王政復古政府の議定メンバーにも名を連ねている。一方で藩内に高野長英や大村益次郎らの蘭学者を招き、対外的には薩摩やイギリスと接近した動きを示すなど、その動きはめざましい。しかし藩内状況についてはほとんど知られておらず、わたしなどは幕末の宇和島藩または伊達宗城に言及するとき、いつも不安に感じている。表面的にしか理解していない負い目がつきまとうのである。  今回伊達文化保存会の企画により、兵頭賢一氏の労作である六代藩主伊達村壽・七代藩主宗紀・八代藩主宗城の伝記が相次いで刊行されるという。過日『伊達村壽』の原稿を見る機会があり、その時代を超えた新鮮さに驚かされたが、内容の特長としては、次のような点が指摘できる。  まずなにより、宗紀の時代に旧記から主要な記事を書き抜いて編んだ「記録書抜」をはじめとする藩政に関する基本史料や、すでに失われたものをふくめた多くの藩内史料から、豊富に原文が引用されている。煩瑣なほどの史料の引用は、兵頭氏の先入観を排して史料から歴史を見つめようとする強い意志を感じさせるが、そこでつづられた史料自体がまた我々に多くのことを語りかけてくれることは言うまでもない。  しかも、その視野は藩内にとどまらず全国を捉えている。幕府や他藩の動きをおさえ、必要に応じて労をいとわず関連の史料を自藩を越えてあたっている。往々にしてみられる郷土史家の地域に対する極端な思い入れの弊は、まったくといってよいほど見られない。  また巻末に詳細な年表が付されており、座右に置いて参照するに便利である。著者の研究者に対する配慮がうかがえる。  こうした内容をもつ伝記が、六代の寛政期から八代の明治期にまで及ぶかたちで出版されるとすれば、宇和島藩についての歴史認識が深まることはもちろんのこと、明治維新史や、幕藩関係史・近世藩政史の研究にも多大な裨益が及ぶことが期待できる。楽しみに刊行を待ちたい。


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